ニセS高原から

ITIのプログラムで、ポツドール三浦大輔さん演出バージョンの「ニセS高原から」を観た。ぶつぶつ会話(平田オリザ言うところの「リアル」)が何らかの問題なり主題なりの中心を迂回し続けて終わる原作「S高原から」をこの点においてそのまま踏襲しつつ、役者同士の会話はひたすら人間の「醜さ」を露呈するものとなっていた。しかし、はたして、人間の醜さは常に会話に現れるものだろうか。会話から推し量れる人間の醜さなど、無害で無邪気なものに過ぎないのではないだろうか、と考えずにはいられないはずの今日の世の中で、「リアル」とは一体、どう定義できるのだろうか。