文化村シアターコクーンにて、ウズベキスタン・イラン・インドの演出家による「メデイア」(ウズベキスタン),「イオカステ」(イラン),「ヘレネ」(インド)、字幕助手。


字幕に関しては実は今までそんなに手を入れる余地はないのではと思っていたのだけれど、長島さんの仕事ぶりを垣間みさせて頂いて、字幕用の翻訳には職人技が必要なのだとつくづく思った。訳者が語学に堪能であるという一点で引き受けられた字幕が「イマイチ」なのは自分に文字を追いながら舞台を観る能力がないからだと思っていたが、字幕用の言葉のテンポとか、一度に人間の眼が追える文字列の限度とか、原文の単語に忠実であるよりも言葉を変えて意味を取るほうがいい場合とか、工夫の余地が無限にあるのだなと。


本番前の段階で字幕をチェックするのは既に台本を読むなり稽古を見るなりして中身を知っている人間ばかりだし(ゲネを除く)、初見のお客さんにとって字幕がどうであるかに多くの時間が割かれることは意外に少ないように思う。だから、稽古の段階から徐々にオペと訳の調整をしていく長島さんのやり方はとても重要だと思ったし、通常、字幕を舞台美術に組み込もうとする人はあまりいない、というか舞台の背面にプロジェクターで映すか横にモニターで出すかしか私は観た事がないのだけれど、今回の中山ダイスケさんの美術ははっきり字幕を作品の中に取り込んでいて、リハの段階でも字幕のオペが稽古の中に息づいていて、いろんな意味でとても勉強になりました。 


まあ、演劇なんていう世の末端みたいな分野でさえ働いてしまっている微妙な社会的権力関係とか、うまく書きようがない諸事情のほうが今回はよく見えてしまったのですが。