早稲田の中央図書館下にて、これから3日間、朝から晩までフラ語英語なベケット国際シンポジウムが開幕。熱出そう。たおれそう。1日目の今日はシンポジウム終了後、そのまま全員テレポートし世田谷パブリックシアタートラムにて、佐藤信演出『エンドゲーム』を観た。ベケット作品の日本での上演(主に関東圏と関西圏)を1960年代から今年までの分、調べがつくのは全部調べる、という上演史づくりを某大学の先生と進行中なのだけれど、上演の記録を観る限りでは、あまりにも「不条理」という単語に縛られる、あるいは「不条理」内に収まろうと頑張る公演が目立ち、戯曲をさらっと(特に英語で)読んでみれば明らかな軽快さやパロディやコミカルな部分がごっそりと抜け落ちていることに気付く。自分の周りの人々に今回の『エンドゲーム』の感想を聞くと、ベケットがどうとかいう以前に舞台としてとてもよかったという人と、ベケットのイメージにそぐわないという人とで賛否がわかれていたけれど、どちらの意見も納得。個人的には、「不条理」からの脱却、という方向性が演劇の現場で今、通用するってことに驚いた。現場は研究のはるか先を行くものと思っていたけれど、逆のこともあるのだなと。